ケリュケイオンの杖
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発行日:2018.05.04発行 A5/100P/1000円/送料180円 CP:ロイ×エドワード 内容:酔っぱらったロイから告白を受けたエドワードは、ロイがそれをすっかり忘れてしまっているが故に返事も出来ないまま、すっきりとしない日々を送っていた。 そんな折、ロイから奇妙な出来事について知らされる。それは、同一人物と思われる男性が、幾通りもの方法で『殺害』されている写真がイーストシティのあちこちで見つかっているという事だった。 そしてその写真には、神話に登場するケリュケイオンの杖を模していると思われるものが写り込んでいて――… 原作設定事件物、ロイエドの馴れ初めからくっつくまで。いつものようにハッピーエンドです。 サンプルは以下をご覧ください。 https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=9523608
ケリュケイオンの杖(サンプル)
一九一四年五月四日 それは、久しぶりの入浴だった。 一日や二日程度、風呂に入れなかったとしても、エドワードは気にするような性格ではない。それに、旅をしていれば、列車を乗り継いだりする関係上、宿泊施設に泊まれない事もあるのだ。しかし、丸三日も入浴出来ず、身体も拭けないとなると、流石に自分で自分の匂いが気になり始めるし、頭も痒くなってくる。 赤い石が祀られているという、山奥の小さな祠を目指して道無き道を往き、何とか辿り着いたそこは、単なる赤みを帯びた巨石が祀られているというだけの小さな祠だったのだ。 半ば予想出来ていたとはいえ、二晩も野宿して辿りついた場所だけに、エドワードの落胆も大きかった。しかも、場所が正確に掴めなかったせいで、あちこち探し回る羽目になったのだ。どうやら、この赤い巨石への信仰は途絶えて久しいらしい。 帰り道は、半ば八つ当たりのように錬金術で道を切り開き、土を固め、麓の村への最短距離のルートを作り上げたところ、半日で麓へ降りる事が出来たのは僥倖だったと言えよう。 アルフォンスは、ただただ、呆れ顔をしていたが。 麓に降りるなり駅前のホテルに駆け込んで、携帯食料ではない温かい食事よりも、入浴を優先したのはエドワードにとっても初めての事だった。バスタブに半分ほどの湯を張り、そこに飛び込んで髪から洗い始める。熱い湯が頭皮を辿って流れる心地よさに、思わず溜息が洩れた。 念入りに二度、シャンプーをしてから、珍しくトリートメントを手に取った。あまりにも髪が傷んできしんでいたせいもあるし、久しぶりの入浴をゆっくりと楽しみたいせいもあった。髪の先まで丁寧にトリートメントをつけた後で流すと、指通りが少し良くなったような気がして、中々悪くないと一人ほくそえむ。たまには、こういうのもいいかもしれない。 次は身体を洗おうと、スポンジに石鹸を擦り付けて丁寧に泡立てていると、浴室の外からアルフォンスの声が響いた。 「脱いだ服、全部クリーニングでいいよね?」 「おう、頼む」 声を張り上げてそう応じると、アルフォンスが、エドワードの脱ぎ捨てた服を回収している気配がする。着替えは持っていたのだが、山歩きと野宿で汚れるだろう事を思うと着替える気がしなかったのだ。 恐らく臭うだろう服を洗濯する係の人の事を思うと、流石に少し申し訳ない気分になる。 泡立てたスポンジで腕や足を擦り、首や耳の後ろも丁寧に洗いあげてから、バスタブの栓を抜き、シャワーで泡を一気に流す。 バスタブを出て身体を拭き、アルフォンスが用意してくれていたらしい下着と半袖のTシャツを身につけて浴室の外へと出ると、テーブルの上にはサンドウィッチが用意されていた。 「おお、美味そう」 「お腹空いた頃だろ? 夕飯にはちょっと早いけど」 「サンキュ。夕飯も食うけど、これも食いたい」 ホテルのルームサービスとおぼしきそれは、薄切りのローストビーフを何層も重ねて挟み込んだクラブハウスサンドだった。たっぷりのシャキシャキしたレタスと、ほのかに辛味のあるオニオンスライス、それにローストビーフの濃厚な旨味と、ピリリとしたマスタードが堪らない。横に添えてあるクレソンと、たっぷりのマッシュポテトも嬉しい。 「美味い……染みる……」 おもわずしみじみとそう呟くと、アルフォンスが可愛らしく小首を傾げた。 「美味しい? 良かったね」 お茶入れるね、と、保温用のポットからアルフォンスが紅茶を注いでくれる。気の利く出来た弟の存在の有り難みを実感しながら、エドワードはマグカップを受け取った。 あっという間にマッシュポテトの欠片一つも残さず綺麗に食べ終えた皿を前に、エドワードは満足げに腹部をさする。飲み頃の温度になったお茶をゆっくりと味わっていると、部屋の隅にある電話が鳴りだした。 「ボクが出るよ」 そう言ってアルフォンスが立ち上がり、電話に出る。 「はい。……外線? ああ、はい。繋いで下さい」 外線という言葉に、エドワードは顔を上げる。このホテルに泊まっている事は誰にも教えていない筈だ。そもそも、つい先程チェックインしたばかりなのに、それを見透かしたように電話をかけてくるような相手は一人しかいない。しばらくして繋がったらしい通話に、アルフォンスが明るい声を上げた。 「ご無沙汰してます、大佐。アルフォンスです」 その名前に、エドワードは「やっぱりな」と心の中だけで呟いた。 ロイとエドワードは、時折こうして連絡を取り合っている。エドワードの方から連絡をする事もあるが、こうしてロイがエドワードの居場所を突き止めて連絡をしてくる事も多い。居場所を逐一教えているわけでもない筈なのに、こうして管轄外の筈の北部のホテルにまで狙いすましたように連絡をしてくるのは、本当にどうやっているのだろうか。 「兄さん、大佐からだよ」 「へいへい。……はい、エドワード」 『久しぶりだな、鋼の』 「久しぶりでもないだろ。先々週にも、こっちから連絡したし」 アルフォンスが電話の傍にまで椅子を持ってきてくれたのに目線だけで礼を告げて、エドワードはありがたくそこに腰を下ろす。風呂も食事も済ませたとは言え、まだ疲労が抜けていないのだ。 「それで? 何か用か?」 ロイとこうして連絡を取り合うようになったのは、エドワードが国家錬金術師になって一年目の頃、ロイからの提案が切欠だった。 (私は各地の情報が欲しい、君は賢者の石や人体錬成の情報が欲しい。等価交換といこうじゃないか) 東方司令部にいるロイは、基本的にそこから動く事は無い。中央や他の地方などへの出張もあるらしいが、その短期間で得られる情報はそう多くはない。だからこそ、エドワードの旅先での情報が欲しいのだという。 『特別に用事があるわけではないよ。ただ、少し時間が空いたから、どうしているかと思って』 「少し時間が空いたからって、オレが泊まってるホテル特定してかけてくるなよ……」 エドワードのぼやきとも文句ともつかない言葉に、受話器の向こうでロイが笑う気配がする。 『別に、わざわざ人を使って調べたわけではないよ。先々週、北部に行くと言っていたのは君自身だし、それに、軍のホテルを順番に当たればすぐに分かる』 「――…まさか、いつもそんな事してんのか?」 『そう手間でもないよ。今回は三つ目で当たりだった。それで、どうだった?』 「うーん……大きいのは特に。あ、ただ、北部に新しい鉱脈が見つかったって知ってるか? プラチナの。そこの利権を巡って揉めてんだけど、そこに北方司令部の准将が関わってるっていう噂が」 『賄賂か』 即座にロイがそう応じる。流石に話が早い。というよりも、それだけ、こういった事はよくある話なのだろう。 「多分。そんな感じ」 あくまで噂というレベルの話だが、ロイにとってはそんな情報だけで構わないらしい。逆に言えば、裏を取るような行動は出来るだけ控えるように言われている。 最年少国家錬金術師であるエドワードは、軍部内ではかなり有名な存在だ。その推挙人がロイである事も、よく知られている。エドワードが下手に動けば警戒される可能性があるので、それを防ぐ為なのだろう。 君を危険に晒すのは本意ではないからね、と付け足された言葉は、聞こえなかったふりをした。――…何だか恥ずかしかったので。 『分かった。あとはこちらで調べてみよう』 こういった情報を最終的にどうするのかは、エドワードも知らない。しかしロイが正義感からこういった情報を求めている訳ではない事は何となく分かっている。しかしそこまでは聞かないのが、互いの暗黙の了解だ。エドワードの方だって、人体錬成という禁忌の情報を追い求めているのだから、ある意味ではお互い様だ。 「大佐の方は? 何か、いいネタ無い?」 『そうだな。良いかどうかは分からないが、変わった話ならあるな。……奇妙な写真が、イーストシティのあちこちで見つかっている。酒場の壁、駅の伝言板、郵便ポストの中。そういった場所に、いつの間にか写真が貼られていたり、入っていたりするんだ』 「奇妙な写真? どんな?」 『白黒写真でね。例えるのなら、殺人現場の光景のように見える。六十代位の小柄な男性が倒れていて、その背中にナイフが突き立てられていたり、首に何重にもロープが巻き付けられて吊されていたり、バスタブに沈められていたり、様々だ』 ロイの説明によると、写っているのは全て同一人物であり、今までに五枚見つかっているその写真の全てで、その男性は、それぞれ違うやり方で「殺されている」のだという。 「それは……確かに、変だな」 『しかし、この殺人事件に該当するような事件は起きていない。男性の素性も不明だ。それに、フェイクの可能性もある』 そんなロイの言葉に、エドワードは頷いてみせる。 「まあ、そうだよな。それに、本当の殺人事件なら、犯人が自分で犯罪を暴露するような事はしないだろうし」 『悪戯だという可能性が高いが、私にはもう一つ、気になる点があるんだ。五枚の写真には、いずれもある杖が写り込んでいる。歩行の補助にする方ではなく、魔術的な意味での。長さはおそらく三十センチ弱、上部に一対の翼を持つ、二匹の蛇が絡みついている意匠の杖だ』 君ならこの意味が分かるだろう? と問いかけられ、エドワードは応じる。 「翼と二匹の蛇……って事は、ケリュケイオンか」 『そう。神話の神、ヘルメスの持っている杖で、眠っている人間を目覚めさせ、起きている人間を眠りに誘う。死にゆく人間に用いれば穏やかになり、死んだ人間に用いれば生き返る』 「……おとぎ話だろ?」 ロイの口調に、エドワードは思わず眉をひそめた。 『まあ、そうだな。しかし、この写真の全てに写りこんでいるところからすると、偶然とは思えない。意図的なものだ。勿論、この杖が本物だという証拠も無いが』 「だよな。でも、杖が写ってる写真、しかも殺人事件の現場写真みたいな物騒なものを、あちこちにばらまいてる奴の意図が分からない」 『私も、全く同感だ。しかし、愉快犯にしろ、何かの目的や意図はある。今のところは事件性が無いせいで動く事は出来ないが、様子見といったところか。動けるとしたら、ここに写り込んでいる男性が本当に死んでいると分かった時だけだ』 まあそうだろうな、とエドワードは納得する。怪しい事件である事には違いないが、事件性が無い。実際に被害を被ったという訴えがなければ、軍も動く訳にはいかないだろう。 『それと、君が探していた文献を見つけたぞ。今度こっちに来る用事がある時にでも渡そう』 「ん。……サンキュ。助かる」 素直に礼を述べたのが意外だったのか、受話器の向こうでロイが笑う気配がする。 「今回は空振りだったから、近いうちに顔出しに行く」 『そうか。今回は何だったんだ?』 「聖なる赤い石が祀られた祠があるって聞いて行ってみたんだけど、単なる赤い石だった。……石っていうか、岩だな。とにかくでかい」 『それはそれは』 ロイが受話器の向こうで笑う気配がする。出会ったばかりの頃だったら、馬鹿にしているのかと怒るところだ。 しかし、今は違う。定期的に連絡を取り合う事になり、ロイとの会話と交流が増えた。だからこそ、エドワードは自分の失敗や失態を素直に話せるようになり、ロイに笑われたとしても、それがエドワードの事を馬鹿にしたとは思わなくなったのだ。 そう思えるようになったのは、ロイとの間にあった、ある出来事のせいもある。 『そろそろ会議の時間だ。それでは、また近いうちに』 「うん。次は、オレがそっちに行くから」 そう言って、エドワードは受話器を置く。 (……やっぱり、何も言わなかったな) いや、もし何かを言われたところで、一体どうしていいのかは、未だに分からないのだが。 僅かにもやもやした気持ちを抱えながら、エドワードは受話器を戻し、ベッドに寝転がる。入浴を済ませ、食欲も満たされたせいで、すぐに眠気がやってくる。目敏く気付いたらしいアルフォンスが「寝るなら布団掛けて寝なよ」と言いながら、エドワードを抱えあげてから布団をめくり、エドワードに掛け直してくれる。 「夕飯、ぐらいに、起こしてくれ……」 半ば眠りの世界に落ちながらそう頼むと、呆れたように「はいはい」と返答がある。重い瞼を閉じれば、ふわふわと心地よい浮遊感がある。眠たいと思った時に眠れるというのは、何て心地よい事なのだろうか。 そんな事を考えていると、不意に、あの時のロイの言葉が脳裏に蘇ってくる。 恐らくはロイ自身も、告げるつもりが無かっただろう、あの言葉。それは、エドワードにとっても衝撃としか言いようがない出来事だった。 それは、半年前の出来事だった。 「大佐なら、酔い潰れて寝てるぞ」 東方司令部に顔を出すなり、ブレダにそう言われて、エドワードは面食らった。 「……こんな時間に? しかも司令部で?」 エドワードは思わず、壁にかかっている時計を確認した。夜ならともかく、まだ昼間だ。夕方と言うにも早すぎる。呆れたようにそう返したエドワードに、ブレダが苦笑する。 「付き合いだよ。中央から酒豪の将軍が来てたんだが、大佐の事がお気に入りでな。昼過ぎの列車に乗らなきゃならないが、どうしても大佐と飲みたいと言い張るから仕方なく。で、酔い潰されて、今は仮眠室で寝てる。急用なら起こしてもいいだろうが、まともに話が出来るかは保証しない」 「あー……そういう……」 国家錬金術師の資格を取ったその日、アームストロング少佐や、バスク・グラン准将と共に東方司令部内で酒に付き合わされた事を思い出す。エドワードはジュースで、他の三人は一杯だけだったとはいえ、勤務中に酒を飲んだ事には変わりない。 しかし、酒を飲もうと提案したロイを誰も咎めなかったところからすると、ロイの言うように、こういった事については元々寛容なのだろう。 「書類出しにきただけだし、声だけ掛けて、机の上に置いてくるよ。明日も来るつもりだし」 「おう。あ、もし大佐が具合悪そうにしてたら、知らせてくれ」 「分かった」 ロイの仮眠室は、執務室の奥にある物置を改造したものだ。ベッドを置いただけで一杯になるような狭い部屋だが、仮眠を取るだけなら充分だ。 一応扉をノックしたが、やはり応答は無い。 「大佐、入るぞ」 そう声を掛けて扉を開けると、ベッドの上で毛布をかぶり、ロイが丸くなっていた。辛うじてブーツと上着は脱いだようだが、泥除けはそのままだ。 何故か靴下も脱いだらしく、裸足の爪先が毛布からはみ出している。その指先が縮こまるように丸まっているところからすると、もしかして寒いのではないだろうか。 「大佐、起きられるか? 書類持ってきたんだけど」 「ん……んー……」 返答とも呻き声ともつかない声が上がり、ロイが寝返りを打つ。眉間に皺が寄り、苦悶の表情を浮かべているところからすると、悪酔いしているのだろう。寒そうに毛布を手繰り寄せるその姿に、エドワードは溜息をついて、棚からもう一枚毛布を取り出し、爪先まで覆うように掛けてやる。そろそろ寒くなる時期だし、こんな格好では寒いのも当然だろう。 「……あったかい」 寝ぼけた口調でそう呟いて、ロイは毛布に鼻先を埋めて、更に身体を丸める。少し苦悶の色が減ったようにも見えて、エドワードは安堵する。 「また、明日来るな」 聞こえていないだろうと思いながらも、そう声を掛ける。しかし予想に反して、ロイがその瞼を開けた。 「あ、悪い。起こしたか?」 「……はがねの?」 半ば寝ぼけたような声で、ロイがそう呟く。 「うん。書類出しにきた。大丈夫か? 気持ち悪いとか、無いか?」 もし気分が悪くて嘔吐などした場合、嘔吐物で気管を詰まらせて窒息する可能性もある。それに、血中のアルコール濃度を少しでも下げる為に、水分も取らせた方がいいだろう。 ベッドの横の小さなチェストの上には、水差しとグラスが用意してあるのは、ロイの為のものなのだろう。その横には、見慣れない、少し歪んでひしゃげた傷だらけの万年筆が、畳まれたハンカチの上に、大切そうに置かれていた。 ロイの愛用している万年筆は知っているが、こんな意匠ではなかった筈だし、何よりも、こんな風に歪んでいて、筆記具として役に立つのだろうか。まるで、交通事故にでも巻き込まれたようだ。 それを不思議に思って眺めていると、ロイがベッドに横たわったままで手を伸ばして、エドワードの鋼の右手を握り込んだ。 「……はがねのだ……」 まるで子供のような笑みに、エドワードは面食らう。酔っぱらっているせいなのだろうが、こんなロイは初めて見たし、こんな風に呼ばれるのも初めてだった。 「はがねの」 「何だよ。……酔っぱらいだな、あんた」 「うん。鋼のがいるから、嬉しくて」 にこにこと笑いながら、ロイがそう応じる。脈絡の無い受け答えは、紛れもない酔っぱらいのものだ。 「オレがいると、嬉しいのか?」 その戯れ言に付き合う気になったのは、ロイの笑顔が思いの外、無邪気で屈託のないものだったからだ。いつも胡散臭い笑みを浮かべているロイとは違って、何故か胸の鼓動が速くなる。 「うん、嬉しい。君の事が好きだから」 さらりとそんな風に言われて、恥ずかしくなる。それなりに好かれているとは思っていたが、酔っぱらっているからとはいえ、面と向かって告げるような事ではないだろう。 「はいはい。分かったから、もう寝ろ。手は離せ」 「やだ。……ここに、居てくれ。少しだけでいいから」 その声音に込められた切実な響きに、エドワードは思わずどきりとする。 「……大佐?」 「君の事が好きなんだ。……大切にしたい。愛している」 その言葉に、エドワードは目を瞠る。もし親愛の情であるのなら、好きだと告げるのならともかく、愛しているなどとは言わないだろう。少なくとも、ロイはそういう言葉を安売りするような男ではない。 「幸せになって欲しい。生きていて欲しい。どうか……」 そこから先の言葉は途切れて、ロイの瞼が閉じられる。規則正しい寝息を幾つか数えてから、エドワードはそっと、その手を引き抜いた。 ロイの様子をブレダに報告しにいったところで、エドワードは、中央の将軍がやってきたのは、ロイの同期だった中央の少佐がテロの鎮圧の際に死亡した事と、その形見を持ってきた事を教えられた。 歪んだ傷だらけの万年筆と、酔いつぶれたロイ。その意味を、エドワードはようやく悟ったのだった。 目を開けると、見知らぬ天井が目に入る。窓から入る夕陽の橙色の光に、ベッドの上に上体を起こして軽く頭を振る。 (――…夢、か) アルフォンスの姿が見えないところを見ると、外出でもしているらしい。軽く伸びをして、エドワードはベッドから降りて洗面所に向かい、顔を洗う。冷たい水で眠気の残滓を洗い流すと、ようやく頭がはっきりしてきた。 あの翌日に東方司令部に顔を出すと、ロイはいつも通りだった。エドワードが来たという記憶も無いのだと、恥ずかしそうに白状して笑っていた。同期で、友人だった男の死など、おくびにも出さなかった。 だからこそ、エドワードは何も言わなかったし、何も言えなかったのだ。 こんな風に夢にまで見るという事は、エドワード自身、余程この件が気になっているという事なのだろう。しかし、ロイから面と向かって告げられたわけでもないだけに、エドワードの方から何か行動を起こすというのもおかしな話だ。 しかし、エドワード自身、ロイの事をどう思っているのかと言えば、そこで思考は停止する。つい反発する事も多いが、人間としては嫌いではない。女性好きでデートの相手をとっかえひっかえしているというのも、その相手は情報提供者の女性ばかりであり、単なるカモフラージュだというのも、最近知った事だ。 錬金術師としては言うまでもなく優秀であり、認めるのは悔しいが、体術も含めて、今のエドワードに敵う相手ではない。 いけすかない相手だとは思う。しかし、魅力的な人間だとも思う。そもそも、本当に嫌っているのなら、あんな風に連絡を取ったりはしない。情報の交換を持ち掛けられて承諾する事もないし、定期的にイーストシティに顔を出すような事も無いだろう。 (……やめとこ) このままだと思考が泥沼にはまる予感がして、エドワードは思考を切り替えた。 取り合えずアルフォンスが戻ってきたら、夕飯を食べる店を探しに行こうと決める。そして今夜もぐっすりと眠って、明日には東部へと移動するのだ。ロイには近いうちに顔を出すとしか言わなかったが、それが多少早くなったところで気にする事も無いだろう。 そう決めれば、少しは気分も晴れた。どこの店が美味しいかは、ホテルのスタッフに聞けば教えてくれるだろう。 美味しい夕飯にありつける事を祈りながら、エドワードは髪を編み、身支度を始めた。